2012年8月18日土曜日

風ちゃんとまだ名無しちゃん

「野良猫はご飯を与えなければ自然に死んで居なくなる」
という論に対して。

野良猫という存在の責任はどう取る気なのか?

ご飯を与えて去勢不妊手術をしない人間が無くなるとは考えられないので
実効力ははなはだ疑問、残酷な間接的殺猫行為に過ぎない。

生まれたての赤ちゃん猫は
時期によっては数分で息を引き取る、
死ぬ為に生まれてくる様な現実の責任は誰がどう取るのか?

答え
社会全体が応分の負担をして「猫や小動物達」と共生する道を選ぶ事。
少なくとも、税金で虐殺するよりは良い。
むしろ、その税金は「猫に被害を受けている」と主張する人達の為に使うべきだ。
しかし、全額は「理」に反する。
社会に生きるものとしての応分の負担を差し引いた金額とすべきだ。
「個人の被害でもあるが社会全体の被害でもある」という「理」
これは「野良猫問題」以外にも通用するはずだ。

この答えは
「私にさえ害が無ければどんなに猫がいても文句は無い」
という論に対しても同じ事が云える。

公的機関が
「現状の責任が社会全体に在る」と云うことを
明確にできないのは背後にある大きなものを感じないわけにはいかない。
それは善悪の区別の難しい「止める事のできない歯車となった社会の仕組み」なのかも知れない。

どんな理由があるにせよ、
人間の無責任によって存在する猫達が虐殺される正当な理由には断じてならない。

保護して、不妊手術してその地域に戻し、
しばらく地域全体で見守れば自然に数は減ります。
少々残ったとしても
次の代を生む機会は大きく減りますので、
常に目にするのはごく少数になります。

この少数の猫に対しても
「被害を主張」するのであれば、
公的機関に書面で訴えることをお勧めします。
訴えられた人も保険等で対応しやすい。
もしも、そういう人がいれば、ですが。
これがまた、
ドッコイ、いるんですよね…。